信州人の趣味と雑談

三河生まれだが、もう信州暮らしの方がずっと長くなってしまったサラリーマンがのらりくらりと綴る日々生活の与太話

京都旅行

のんびりと

24f3256c.JPG海寶で食したのは「かぶす汁定食」という物。

あら汁のことだが鼻にかぶるほど具が入っているからそう呼ぶらしい。刺身と香の物が付いてこれが何とも美味かった。
刺身は「紋甲イカ」「スズキ」「アジ」だったと思う。無理なく採れた魚を出してるってかんじ。刺身も少しだったが美味かったな。

美味いついでにビールも飲んだのでしばしの昼寝、極楽だ。

再度車を出ししばらく行くと道の駅「カモンパーク新湊(しんみなと)」。
何もないところだが駐車場は広い、今日はここでP泊。

翌日は早起きしてそのまま帰路へ着く。

なんとも長いようで短い旅行だったのである。

海寶

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今日の目的地は氷見漁港。

その漁港市場内にある「海寶」という食事屋である。

手頃な値段で美味い物を食べさせてくれるとあってわくわくだ。

漁港についたがそれらしく建物はない。かわってそこにあったのが道の駅「氷見」そこには「氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館」なるものがあって食事するところや、おみやげ屋さんが沢山あった。

お腹もすいたのでそこで食べようかと思ったのだが、せっかく昨日調べた所に行こうと再度車に乗りこみすこし漁港内の方へ進めてみる。

すると、ありました(^.^)

食事所というよりも完全に「市場」でした。人もほとんどおらず入っていいのかしら?とおもいつつも入り口と書いてある通りに進んでゆくと下に魚を水揚げするところを見ながら2Fにそのお店が。

中は結構小ぎれいで落ち着く感じ。
ドアの外には待合いの椅子が並んでおり普段は混み合うことを想像させる。

しかし今日は私と他には1組の老夫婦が居ただけ。

氷見に行くなら必ず寄りたいお店だね。ただ注意したいのが朝は早くからやっているが、夕方の営業はしていないらしい。

氷見へ

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昨晩インターネットで調べた所に行くために氷見へ向かう。

その途中で見つけた風景。

国道27号線沿いにある自衛隊桟橋には、戦艦が停泊していた。
なんだか有名なイージス艦もここ舞鶴を母港としているらしい。

本物の戦艦をこんな間近で見るのは初めてのような気がする。本当に国道沿いに突然現れるのである。

天橋立

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少し遅い朝食を終えて天橋立へ。

おそらく20年位前になると思うんだけれども中学生くらいまで毎年夏は福井県の敦賀湾の海に2泊3日くらいの家族旅行に出かけていた。
ある夏に海の帰りにここに来たのを記憶にしている、たしか雨降りだった覚えがある。

ここのビューランドに昇って天橋立を見てから20年。そして3年ほど前からその旅行も今は家族が増えて復活している。

松島、宮島と共に日本三景の一つであるこの天橋立で有名なのは股の間から見る景色。
なぜ美しく見えるかというのはここの立て看板に書いてあった。

「・・・逆さでのぞいているうちに頭に血が上って風景が幻想的に見えてくる・・・」かららしい。

なんだ、血が上ってくらくらするから幻想的に見えるのであれば天橋立でなくともいいのでは?と思うのであった。

朝食

790db600.JPG昨日泊まったのは「クアハウス岩滝」の近くの公園の駐車場。

市街地とは違いP泊するための場所を探すのにそんなに苦労は要らない。ただ近くに学校があったのか、その体育館で夜遅くまで婦人会の集まりみたいなのがあってかなり騒がしかった。

ここら辺はテレビの電波の入りも良く、久しぶりにテレビを見てみたらちょうどワールドカップ予選のインド戦の最中だった。

この試合は7-0の快勝、こんな快勝は久々だったのではないか。

今日の風呂は

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同じ京都府内なのに京都市内から意外と遠かった天橋立。

ついたのは夕方で天橋立の場所を確認して近くにあった観光案内所でパンフレットをもらう。
もう寝る準備をしないといけないので風呂となる場所を探すためだ。

風呂はよさそうな「クアハウス岩滝」っていうレジャーランドを見つけていったのだがここがなかなか良かった。
何が良かったかっていうと、人が全然いないのと、無料でインターネットが出来るパソコンが3台ほどおいてあった。

早速パソコンを使い明日の調査。明日は富山県まで行くつもりなので氷見周辺を検索。

なんだか良さそうなところを見つけました。

そろそろ帰路へ

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この日の昼はほとんど移動の時間でした。

京都を出たのが昼過ぎ、天橋立あたりまで行こうかと思って出発しました。

途中に有った鍾乳洞公園に立ちより(中は垂直なはしごで恐ろしく、さらに洞窟内はとても涼しく気持ちのいいところだった)。
周りはキャンプ場になっていたがお客はゼロ。
しなびた公園でした。

天橋立までの道のり、ほとんどが山の中なので美味いもんは見つかりそうにないそこで道のりに見つけた道の駅「瑞穂の里 さらびき」に車を止め、昼を取ることに。
せっかくコンロも持ってきたので何か作ろうかと思ったが、レトルトのカレーライスが本日のお昼となりました。

京都駅JRロゴ

eae135c3.JPGで、京都駅で探してみると有りました、オレンジのJR東海のロゴが光っていました。

しかしよく考えるときっとこのあたりはJR西日本も当然走っているわけで構内で看板を探せば青色のロゴもあったのだろうか?今となっては分からないママとなってしまった。今度行くときには探してみることにする。

あと、切符売り場も見てみるべきだった。「オレンジの窓口」だったのだろうか?非常に気になるところだ。電車はほとんど長野と東京間しか乗ったことがないので今回は非常に勉強になりました。

寄り道

c52593c5.JPG以前から疑問に思っていたことにJRのロゴの色があった。

これは私がよく知っているJRのロゴである。
これが緑色なのは常識と思っていた(だって切符売り場も「緑の窓口」って言うし)。
しかしつい最近まで知ったことがある、このロゴは緑色だけではないらしい。
私が調べた結果以下のような色がある。

東日本:緑
西日本:青
東海:オレンジ
九州:赤
北海道:黄緑
四国:エメラルドグリーン

ちなみにわざわざ京都駅まで来たのはいろんな新幹線を見ようと思ったのと、何色の看板があるだろうと疑問に思ったのを確かめに来たのである。

資料室

fd4a91f3.JPG寺田屋に龍馬の資料がいろいろと展示してある部屋が2階にある。

その部屋で女子高生らしき数人組が横になってくつろいでいた。(制服を着ていたので高校生なのは明らかである)旅館なのだからくつろぎやすいことは確かである、しかし、今はそうではない。
入れ替わり観光客が入っている。
にもかかわらずあまり長いこと居座っているので一喝してやった。(正確には二喝)二回目は少しきつい口調で言ったら一人の女の子が「すみませんでした」といって皆を引き連れて出て行った。
この子たちが居たためにこの部屋に入れずに帰っていった人が二〜三人。俺はさらに図々しいので無視。

せっかく歴史を感じに来ているのに台無しである。

マナーを守ってほしい。

寺田屋旅館

31cd0b2a.JPG尊王攘夷派の先鋒の薩摩藩士9名が寺田屋に集まり幕府要人の暗殺を目論んでいたところ、公武合体派の同藩士の説得を受けたが乱闘になり同士討ちとなる悲劇を生んだ「寺田屋騒動」。

坂本竜馬が常宿として使っており幕府の追っ手に囲まれ乱闘の末脱出したという幕末では有名な旅籠。

いまでも夕方から朝までは旅館として経営しているらしい。
たしかに旅館としての設備が整っていた。

泊まってみたかったな〜。

今回の目的地

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その二人のお墓。10分もそこにいると朝早いというのに何人もお参りに来ますね。

花を供えている人がおり、お墓に来るのであれば花でも買ってくるべきだったと深く反省しました。

この横には高さ30cm位の二人の銅像が立っており、その銅像を元にして円山公園の大きな像が出来たようです。

それではまた会う日までさようならお二人さん。

墓参り

045c2b4a.JPG「維新の道」を登り、7時30だったかな、開門と同時に中へ入ります。
この神社(京都霊山護国神社)は、明治元年、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社だそうです。

ここには坂本龍馬、中岡慎太郎をはじめ、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、など幕末に活躍した志士がみんな眠っているのです。

なぜか、一番高いところに木戸孝允(桂小五郎)が眠っています。

私のイメージでは逃げの小五郎、卑怯の物のイメージがありましたがそんなことはないかなり偉大な人のようです。

再チャレンジ

154d3507.JPG再び昨日と同じ駐車場に車を止め(結構高く800円もとられるのだ)、護国神社へ。

昨日と同じ道だがたった2度目なのに何となく知った道、なんだかうれしい気分。
朝も早いし平日。まだ修学旅行生もいなく閑散とした石畳の通り。
本来は京都観光地の中でもかなり混み合う場所の一つだそうだ、改めてこんな優雅な旅もいいものだと思い直すのでした。

まだ開門まで時間があるので寧々の道を通り高台寺へ立ちよった。
「ねね」とはたしか秀吉の奥方、こんな所で秀吉ゆかりのお寺が流とは知りませんでした、勉強になります。

一つ分からないことがありました。高台寺にての参拝手順がかいてある立て札。

1.下足箱に履き物を揃えて置いて下さい。
2.方丈の濡れ縁の所までお上がり下さい。
3.深呼吸を数回行って下さい。
4.顔を両手で数回さすって下さい。
5.・・・・・

顔を両手で?・・・なんだかよく分からないけれどもかかれた通りにお参りしてきました。

やっぱりP泊

9d6fff8d.JPG寝るところだが、やはり京都の町中では「道の駅」みたいなP泊出来そうなところはどこにもない。

30分ばかり探し回ったが良さそうなところが見つからない。

そのときちょうど目に止まったのが交番の赤色灯。

交番に入り事情を説明し泊まれそうなところを聞く。
すると「将軍塚」と言うところが京都の東山ドライブウェイの頂上に有ると聞き、早速行ってみることに。
トイレも水道もあるし駐車場も結構広い。

今夜はここで寝ることとした\(^_^)/

ちなみにこの将軍塚とはなんぞや?とはこうらしい「桓武天皇が平安建都の際、都の鎮護を呪術的、宗教的にも行おうと、将軍「坂上田村麻呂」の弓を引いている像に甲冑を着せ塚に埋めたと伝えられている」そうです。

朝ご飯はこの駐車場でお湯を沸かしカップラーメンを食べて、さて出発です。

今日は何処で泊まろう?

77749f00.JPG清水寺の近くに坂本龍馬と中岡慎太郎の墓がある護国神社へお参りをしに行こうとおもい、歩くこと数分。

神社に前についたのだが時すでに遅し、閉門となっていました。
確か5時前だったと思うのだがまさかお墓が閉まるとは夢にも思いませんでした。(家のばあちゃんが眠っている墓と同じにしてはいけないです)

この墓参りはどうしても行きたかったので今日はこのまま京都市内に残り明日の朝墓参りに行こうと計画。

車に戻り早速夜の計画。

夜の計画と言っても再び祇園に繰り出して遊ぼうって言うんじゃぁない、風呂にはいるところと寝るところを探すのだ。

この旅行は貧乏旅行で基本は車中泊。
車は「なんちゃってキャンピングカー」なので大人一人が寝るには広すぎる位のベッドが用意してある。

幸運にも出発前に下調べしておいた資料の中に「誠の湯」と言うのを見つけそこに行ってみることにした。

出来たばかりらしく値段も手頃なきれいでなかなかの所だった。(もちろんこの「誠」は新撰組のやつである)

やっぱりお寺

07b75697.JPGその後、知恩院(なんだか善光寺みたいだった)にある日本三大門の一だという「三解脱門」なるものをみて、
後その足で行ったのがこの国宝清水寺。

もともと小学生の時に修学旅行出来た記憶があるのが清水寺、奈良の大仏、うぐいす張りの二上条。
その中でも記憶に映像が鮮明だったのがこの寺で、やはり今見ても同じだった。

平安神宮

099ce957.JPGせっかく京都に来たのだから、神社や、お寺も廻ってみようと言うことで立ち寄ったのがこの平安神宮。

家内安全・病気平癒・合格祈願等のお守りが沢山売られていたが特に用も無く、雨も少し激しくなってきたので退散。

ただし、雨のせいかしらないが正門の朱がとても鮮やかできれいだったのが印象深い。

ちなみに平安神宮とは「鳴くようぐいす」の「平安京」にある大内裏(だいだいり)を一部復元した建物なんだってさ。

祇園(花見小路通)

b7ad7adc.JPGきれいな石畳の町並みだったので思わず歩いてきました。

ここらの建物は割烹、懐石料理屋さんみたいでどうも「一見さんおことわり」のお店が建ち並んでいるようです。

元々店にはいるつもりは無かったのですが、ふらりと入るにはかなりの勇気が要るお店なことは違い有りません。

しかし、一本通りを挟んだ北側の通りは普通の都会の繁華街でかなり対照的な町でこれが京都かと言うところかな。

ただし私の知っている祇園って言うのは舞妓さんがいっぱいいて華やかなイメージだったのだが、平日の昼間、しかも小雨日和ということで物静かな落ち着いたイメージになった。

とようけ茶屋

07d92927.JPGこの日の昼は再度昨日の友人につきあってもらい「とようけ茶屋」に行ってきた。

食べたメニューは湯豆腐膳(1050円)と言う物。水がきれいなところは美味しい食べ物が作られるんだと関心。
とっても健康的な食事をした気分にもなり満足。 しかも安かった(^.^)

聞いたところによるとサントリーのウイスキー「山崎」もこのあたりの地名から取った名前らしい。
もちろんそこに山崎蒸留所があるという。
美味しい水から酒と豆腐ってことらしいです。

円山公園

8241d2b3.JPG坂本龍馬と中岡慎太郎の像が有ると聞いて八坂神社の脇にある円山公園に行った。

後でで分かったのだがこの像のオリジナルは護国神社の二人の墓の脇に高さ30cmくらいの物がありそれを大きくした物がこれらしい。
いつ、誰が作ったか等は忘れてしまった。

近江屋跡

f9a1d664.JPGここが坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された場所かぁと思いつつも、現在旅行代理店になっていることに残念は隠しきれない。

故司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んで熱くなっていた頃のことを思い出した。

「じっとしてはいられない、何かやらねば」とかきたてられていた頃です。

池田屋跡

85d6e905.JPG近藤勇率いる新選組が、「京に火を放ち、天皇をさらうというクーデター」を阻止し名前を挙げた有名な宿跡になります。

残念ながら現在はパチンコ屋さんになっています(-_-;)。

ここで写真を撮ろうと思ったのですが、ちょうど開店前(昼の12時頃だと思ったのですがずいぶん遅い開店ですが)だったらしく、強面の人々が開店前に列を作っていたので(平日の朝っぱらからパチンコ並ぶなよ!)その場で写真を撮ることが出来ず後ほど写真を撮りに戻りました。

※この陰謀が明らかになったのは「古高俊太郎」の自白らしいのですがこのときに行った近藤勇の拷問は見ている方も苦痛なほどの物だったようです。

酢屋

3dc8289a.JPG創業280年で、現在も続く材木商。酢屋

六代目嘉兵衛は龍馬の活動に大変理解を示しその活動に協力し、二階に住まわせ援助を行っていたようです。

現在、十代目となり、2Fのギャラリーで暇そうに接客していました。
私が行ったときは平日と言うこともありお客は私のみ。

延々と龍馬についての説明を受けたのですが、

どうも最近の大河ドラマ「新撰組」が気に入らないらしく(龍馬はどちらかというと倒幕派、新撰組はもちろん幕府の警察のような物ですから)、
新撰組が「池田屋事変」で活躍した報奨金で京都の町で飲んだくれ暴れたなどと「京都の町の人には嫌われ者だった」等と力説しておられました。

小枝橋

c50a3dd8.JPG明治元年正月3日夕方、この付近での戦いが鳥羽伏見戦の発端となった。

王政復古ののち、将軍の領地返納を決めた朝廷、薩摩、長州藩らの処置を不満とした政府軍と新政府軍がここ小枝橋で衝突します。

「将軍様が勅命で京に上るのだから、通せ」

という幕府軍と

「勅命ありとは聞いていない、通せない」

という新政府軍の押し問答が続き、幕府軍が強行突破使用とすると、薩摩藩がアームストロング砲を発射。
この砲声を合図に幕府軍1万5千、新政府軍6千の激しい戦いが始まります。

こうして始まった戊辰戦争は翌年の函館五稜郭の戦いまで続いて新政府軍が勝利します。

というわけで新しい時代「明治」はここから始まったと言ってもよい場所なのです。

意外と知られていない石碑巡り

404b3a18.JPG今日は泊めてもらった宅の友人と午前中は一緒に石碑巡りをしてもらった。

巡る順路は私が事前にWebで下調べをした物に従って様々の物を探し当てた。(正直、地元民でないと見つからない物もあると思う)

彼はその通勤路に当たる通りに点在する歴史的遺跡にたいそう感動していた様子。

この中の一つの石碑は戊辰戦争始まりの地点となる場所で新政府群の薩摩藩が陣を構えていた場所であることを示しており、英国式の最新兵器「アームストロング砲」がおかれていた場所だったと記されています。

その他の石碑もいろいろうんちくがあったが詳しくは忘れた(^_^;)
それにしても絶対に普通はに見つけられないような所にあった。

現在は鳥羽離宮公園と呼ばれるごく普通の公園となっております

京都へ・・・

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とある事情から時間に余裕が出来、京都方面へふらりと単身旅行に行くことになった。

目的はあまり決めていない。おおざっぱに計画をして長野を出発。朝9時に出て京都市内に入ったのは19時。ちょうど10時間かかった計算である。

そんなに寄り道もしていなかったので実測値だと思う。今回は時間に余裕があるので贅沢にも下道を使ってやってきた(高速を使うのとどちらが贅沢かは微妙なところであるが)。

今日の夜はこの写真の少女の父親の家に1日目は泊めてもらうことになった。実は突然連絡して泊めてもらうことになって申し訳なかった。

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